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デンマークを代表する家具デザイナー、Finn Juhl/フィン・ユールによる”チーフテンチェア/酋長の椅子” の名を持つこの椅子は、フィン・ユールによるデザインの、軽快でかつ繊細、加えてダイナミックなイメージを集約させた代表作です。オリジナルはニールス・ヴォッダー工房から1949年に発表されました。紀元前のエジプトの遺跡から発見された椅子の構造から着想を得たデザインで、極限まで細く削り出した彫刻的なフレームに、オーガニックフォルムの皮革シート、そして何よりも見る人を驚かせるようなダイナミックな存在感で、1949年秋のキャビネットメーカーズギルド展に出展されました。ギルド展のオープニングレセプションに出席されたフレデリク国王の目に留まり、国王自ら腰掛けられたとも語られています。
この展覧会に於いて、工芸博物館への収蔵案も出たものの、ギルドの幹部を務めていたスネーカーマスターのヤコブ・ケアより「肘の下地に鉄板を入れている」と伝統的規範からの逸脱を指摘され、審査対象から外された逸話が残っています。この出来事は、当時のデンマークの家具工芸界が厳格で保守的であったことを物語っていると同時に、フィン・ユールが習慣にとらわれない革新的なデザイナーであったことの証ともなりました。
こちらの椅子は、1989年のフィン・ユールの没後、ハンネ夫人よりチーフテンチェアの製造権を託されたスネーカーマスターのニールス・ロス・アナセンによる作品で、強度問題を解決すべくストレートジョイントを採用し、オリジナルよりも座りやすく改良されたと云われています。コンディションは良好です。
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Niels Roth Andersen circa 1980’s (Original Niels Vodder 1949)
stamped: Sh EFTF.
Teak, Original leather
w-100, d-93, h-93.5, sh-35cm
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Finn Juhl/フィン・ユール 1912-1989
コペンハーゲン生まれ。父親は権威主義的な思想を持つ繊維卸売業。母親はフィン・ユールが生まれて間もなく他界。幼い頃から美術史家を夢見て育ち、十代の頃は各美術館に出向くなど、美術の鑑賞や研究に多くの時間を費やします。しかし父親は、美術の世界では生きられないであろうと考え、若きフィン・ユールに建築を学ぶ事を推します。1930~34年、デンマークの主たる建築家であり著名な講師のカイ・フィスカーに師事、デンマーク王立芸術アカデミーの建築学部で建築を学びます。学生だったフィン・ユールの能力を建築家のヴィルヘルム・ラウリッツェンが見出し、ラウリッツェン建築事務所に招き入れます。その後、10年間に亘り、ラウリッツェンの建築事務所に勤務。デザイナーのヴィゴ・ボイセンと緊密に協力し、デンマークラジオハウスのインテリアデザインの多くを担当します。現在復刻されているラウリッツェンのラジオハウスペンダントは、就労中のフィン・ユールによってデザインされたものであると噂されています。フィン・ユールは、ラウリッツェン事務所に所属しながらも、1937年には独自の彫刻技術を持つキャビネットメーカー Niels Vodderとの協働を開始。1938年に開催された第11回目のキャビネットメーカーズギルド展へ初出展します。しかし、人間工学を無視した構造と奇抜なデザイン、そして家具作りの教育を受けていない亜流からの流れという背景もあり、世間や業界から酷評を受けます。キャビネットメーカーズギルド展は、それまで続いてきたデンマークの古典的な様式を一新しようとする若きデザイナー達にとって新しいトレンドを発表する重要な展示会でしたが、それまでの重厚で豪華で装飾的な伝統主義に背を向ける姿勢となるプロジェクトは物議を醸し、中でも家具工芸の資格を有さないフィン・ユールの作品は、保守的なデンマーク人たちから多くの批判を受けたと云われています。しかし徐々に海外からの評価と需要が高まり出します。1945年、ラウリッツェン建築事務所を退社したフィン・ユールは、コペンハーゲンのニューハウンにインテリアと家具のデザインを専門とする自身のデザイン事務所を立ち上げます。1950年代に開催されたミラノトリエンナーレに出展した複数のプロダクトが金メダルを受賞すると、国際的な評価は更に高まり、1950年代には、より国外の市場へ向けた多くの製品を生み出すようになります。ノックダウンしたまま出荷できる製品なども開発し、盛んに輸出しました。その頃、ニューヨーク市の国連管理委員会会議室のインテリアデザイナーも務めます。1960年代以降は時代の流れも変わり、フィン・ユールの作品は世の中から一旦忘れ去られますが、1990年代以降は再び関心が高まり、当時作られたヴィンテージ品は各国のオークションで高値を呼び、一部のプロダクトは「House of Finn Juhl」によって現在も復刻生産されています