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20世紀前中葉に活躍したデンマークの工芸作家、Kay Bojesen/カイ・ボイスンによるモンキーです。カイ・ボイスンの代表作として、世界中の人々を癒し続けている人気者です。こちらは1960年代に作られたものだそうで、傷もなくコンディションは良好です。
・以下は、カイ・ボイスン研究家の勝田正人さんによる見解となります・
モンキーは1951年に誕生した。ボイスンの友人である建築家のスティーン・アイラー・ラスムッセンから電話があり、「子供部屋用に相応しいコートフックが必要だ」とのこと。「夕方から工房に行き、4時間ほど手を動かしモンキーのコートフックが完成した」とボイスンは語っている。
モンキーは、ボイスンの代表作であり「私の小さな娘」と呼んでいた。発売当初から人気があり、最初の年に4,000匹が売れる程であった。デンマークのお土産として観光委員会に承認してもらおうとしたが、モンキー (チンパンジー) は、デンマークの動物ではないという理由で拒否された。しかしボイスンは「人魚もデンマーク海域に生息しない!」と反論し、承認を得たという逸話が残っている。
1951年から現在でも、デンマークで製作されている。基本的な形状は変更されずに製作されているものの、年代毎に軽微な変更点がある。これが製作された年代を推定する唯一の手がかりとされている。具体的には、刻印(打刻、焼印)、目の材質、目の位置、鼻口の割合、お腹や首元の形状等である。特に目鼻は重要であり、初期のものは絶妙な位置にあり笑顔がよく表現されている。
上記のことから判断し、今回紹介するモンキーの製作時期は1960年代のものと推測した。
勝田さんのインスタグラム: katsu_034
Literature: Lars Hedebo Olsen「KAY BOJESEN LINJEN SKAL SMILE」Lars Hedebo Olsen
Kay Bojesen own studio 1960's
Teak, Limba
h-18.5cm
ご売約となりました。ありがとうございました。
Kay Bojesen/カイ・ボイスン 1886-1958
デンマーク生まれ。ボイスンは20世紀前中葉のデンマークで、芸術家、職人、デザイナー、銀細工師、商人として活躍しました。商人の見習いとしてスタートし、最終的には芸術家となります。1906年、Georg Jensenシルバースミスで4年ほど銀細工師の弟子として働きました。当時のデンマークでは、Skønvirke/スコンヴィルケと呼ばれる過剰な装飾を施したデザインが流行しており、それに倣って装飾的で優雅なスタイルの作品を制作します。しかし、現代人としてのボイスンは、デザインの簡素化と、過剰な装飾の排除が新しく、よりシンプルで、新時代のライフスタイルに適していることに気づきます。ボイスンは、アール・デコがもてはやされている1930年代に、既にモダンデザインなスタイルでティーポットやカトラリーをデザインし、製作しました。ボイスンによる傑作は玩具に特化しており、その分野では真の先駆者でした。ボイスンは1935年にコペンハーゲンのブレゲード47番地に、カイ・ボイスン工房とショップをオープンさせます。ボイスンによる有名な衛兵隊は、1940年に国民の人気を博したクリスチャン10世国王の70歳の誕生日に関連して作られました。国王の馬上パレードは、ブレゲードのボイスンのショップの前を通過することになっており、ボイスンは国王の儀仗兵として、純色で塗られた高さ1メートルの衛兵4体を制作し、店の外に設置しました。赤、青、白の布と黒い熊皮の帽子をかぶったこの衛兵は国際的なデザインの古典となっています。同様に、人形や自動車や消防車、デンマーク人が「海のオウム」と呼ぶ、魅力的で珍しいツノメドリも製作。猿や象、シマウマやカバなど、人々の生活に密着したものから愛嬌のある動物シリーズを手がけ、デンマークに於ける国民的クリエーターとなります。ボイスンは社交的な性格で、特に米国のモダンデザイン界をはじめ、国際的な人脈も持っていました。芸術活動と経済、社会の発展との関係を早くから認識していたため、協会活動に参加し、手工芸の役割やその意味、諸条件に関する新たな考察が、一般の人々の注目を集めるに必要と考え、新聞にも反映するよう、パンフレットを執筆しました。ボイスンの芸術的プロフィールは、プロとしての真剣さ、妥協のない品質要求、献身、そして人生を肯定する過剰さとユーモアによって特徴づけられました。