Luca Scandinavia | 北欧ヴィンテージ・工芸・アート
チェックリストを見る / Check list

商品をクリックすると詳細ページに移動します。「まとめてお問合せする」から、気になる商品についてご質問、ご要望を送信できます。


チェックリストはありません。

Finn Juhl
Dining table and BO63 Dining chairs

デンマークを代表するデザイナーのFinn Juhl/フィン・ユールによってデザインされたダイニングテーブルと椅子のセットです。1950年代に作られたものでしょう。テーブルはチーク材の天板にオーク材の脚の構成で、エクステンションリーフが二枚付属し、天板面積の拡張が可能です。天板に小傷が見られますが、全体に綺麗な状態です。椅子はチーク材の背もたれにオーク材のフレームの構成で、20世紀中葉に流行した異素材のコンビネーションが特徴です。笠木の表面突き板の一部に呼び継ぎ補修のあるものが一脚見られますが、構造的な問題はありません。また、6脚中1脚の「貫」にダメージが見られたため、同じオーク材によって再製作しています。こちらも構造的な問題はなく、6脚ともに綺麗な状態です。シートはイタリアのリネン生地、ロロピアーナインテリアのPavilionにて張り替えました。こちらはテーブルと椅子6脚との7点セットでの販売です。

Dining table
w-141(180.5~220), d-83.5, h-73cm
6x BO63 Dining chairs
Teak,New fabric (Loro Piana Interiors - Pavilion 005 Smeraldo)
w-49, d-53.5, h-82, sh-43.5cm
ご売約となりました。ありがとうございました。

SOLD

小傷があります。

打痕があります。

エクステンションリーフは種天板の下に収納できます。

6脚中、1脚の貫部分を新たに製作しています。

笠木の突板に呼び継ぎ補修がありますが、構造的なダメージはありません。綺麗に整っています。

Finn Juhl/フィン・ユール 1912-1989
コペンハーゲン生まれ。父親は権威主義的な思想を持つ繊維卸売業。母親はフィン・ユールが生まれて間もなく他界。幼い頃から美術史家を夢見て育ち、十代の頃は各美術館に出向くなど、美術の鑑賞や研究に多くの時間を費やします。しかし父親は、美術の世界では生きられないであろうと考え、若きフィン・ユールに建築を学ぶ事を推します。1930~34年、デンマークの主たる建築家であり著名な講師のカイ・フィスカーに師事、デンマーク王立芸術アカデミーの建築学部で建築を学びます。学生だったフィン・ユールの能力を建築家のヴィルヘルム・ラウリッツェンが見出し、ラウリッツェン建築事務所に招き入れます。その後、10年間に亘り、ラウリッツェンの建築事務所に勤務。デザイナーのヴィゴ・ボイセンと緊密に協力し、デンマークラジオハウスのインテリアデザインの多くを担当します。現在復刻されているラウリッツェンのラジオハウスペンダントは、就労中のフィン・ユールによってデザインされたものであると噂されています。フィン・ユールは、ラウリッツェン事務所に所属しながらも、1937年には独自の彫刻技術を持つキャビネットメーカー Niels Vodderとの協働を開始。1938年に開催された第11回目のキャビネットメーカーズギルド展へ初出展します。しかし、人間工学を無視した構造と奇抜なデザイン、そして家具作りの教育を受けていない亜流からの流れという背景もあり、世間や業界から酷評を受けます。キャビネットメーカーズギルド展は、それまで続いてきたデンマークの古典的な様式を一新しようとする若きデザイナー達にとって新しいトレンドを発表する重要な展示会でしたが、それまでの重厚で豪華で装飾的な伝統主義に背を向ける姿勢となるプロジェクトは物議を醸し、中でも家具工芸の資格を有さないフィン・ユールの作品は、保守的なデンマーク人たちから多くの批判を受けたと云われています。しかし徐々に海外からの評価と需要が高まり出します。1945年、ラウリッツェン建築事務所を退社したフィン・ユールは、コペンハーゲンのニューハウンにインテリアと家具のデザインを専門とする自身のデザイン事務所を立ち上げます。1950年代に開催されたミラノトリエンナーレに出展した複数のプロダクトが金メダルを受賞すると、国際的な評価は更に高まり、1950年代には、より国外の市場へ向けた多くの製品を生み出すようになります。ノックダウンしたまま出荷できる製品なども開発し、盛んに輸出しました。その頃、ニューヨーク市の国連管理委員会会議室のインテリアデザイナーも務めます。1960年代以降は時代の流れも変わり、フィン・ユールの作品は世の中から一旦忘れ去られますが、1990年代以降は再び関心が高まり、当時作られたヴィンテージ品は各国のオークションで高値を呼び、一部のプロダクトは「House of Finn Juhl」によって現在も復刻生産されています。