Luca Scandinavia | 北欧ヴィンテージ・工芸・アート
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Arne Jacobsen
model 4130 "Grand Prix Chair"

アルネ・ヤコブセンによるデザインのグランプリチェア、初期のモデルです。1957年にコペンハーゲンの春の展覧会で発表され、同年に開催されたミラノ・トリエンナーレにて最高の栄誉である‘Grand Prix’を受賞したことにより賞の名称がつきました。ヤコブセンの生み出す他のシェルチェアの中でも木製脚はこのモデルのみとなり、スチール脚のシェルチェアに抵抗のあった一般家庭への納入が促進されたようです。こちらの椅子は1950〜1960年代に作られたもので、ローズウッドを用いたタイプは生産台数が極めて少なく、世界に4脚のみとも云われています。コンディションは極めて良好ですが、薄作りな構造のため、質実剛健とはいかないでしょう。

Fritz Hansen 1957
Brazilian rosewood plywood
w-48, d-49, h-78, sh-43cm
price: on hold

ON HOLD

Arne Jacobsen/アルネ・ヤコブセン 1902-1971
デンマーク生まれ。父親は安全ピンとファスナーの貿易を営むユダヤ系デンマーク人。母親は銀行の出納係。画家を目指すも両親からの反対を受け断念。将来、より安定するであろう建築への道を勧められる。建築家を志す同級生のフレミング・ラッセンからも、絵画の才能も生かすことのできる建築設計としての職に誘われ、1924年、デンマーク王立芸術アカデミーに入学。デザイナーで建築家のカイ・フィスカーや、カイ・ゴットロブからの教育を受け、1925年開催のパリ万国博覧会デンマークパビリオンのための椅子の設計に参加する。在学中ドイツを訪問し、バウハウスで知られるミース・ファン・デル・ローエや、ヴァルター・グロピウスらの提唱する「合理主義建築」に感銘を受ける。1927年、アカデミーを卒業し、都市建築家のポール・ホルソエ建築事務所に入所する。同じ頃、マリー・イストラップ・ホルムと結婚。マリーの紹介で照明設計で時代を築くポール・ヘニングセンと知り合う。 1929年、フレミング・ラッセンと共にモダニズム様式の未来の家を発表。モダニズム様式の旗手のひとりとしてデンマーク国内に於いて一躍注目を集める。同年、自身の事務所を設立。コペンハーゲンの北に位置するクランペンボーの海岸沿いのベルヴュー地区に、レストランや劇場の隣接するリゾート型複合住宅を建設するコンペに当選し、1932年、ベルヴュー地区での大規模リゾートの第一歩を完成させる。ベルヴュー海水浴場では、特徴的な青い縞模様のライフガードタワー、キオスク、着替えキャビン、シャワー施設、チケット販売所、​​さらには従業員のユニフォームまで、あらゆるものを設計し、アール・デコ期の好景気も相まってデンマーク中の注目を集める。当初は高さ100メートルを超える建物に監視塔を兼ねた回転式の空中レストランを設計する計画があったものの、地元の反対が多数押し寄せ断念したとされている。ヤコブセンはヨーロッパ各国を回り、多くの古典建築に触れる。1940年代、デンマークがナチス・ドイツによって占領され、ユダヤ人であったヤコブセンはナチスによる迫害から逃れるため、1942年にポール・ヘニングセンと共に中立国のスウェーデンへ亡命。亡命中は建築設計は殆ど行われず、二人目の妻、ヨハナとテキスタイル・デザインを手がけ、文字通り「春」を待ちわびるかのような穏やかな花柄のテキスタイル作品を発表する。戦後帰国し、1946年、『スーホルム集合住宅』では非対称の屋根を採用するなど、新しい概念を取り入れたテラスハウスを発表。1950年代、後に世界的な評価を得ることになる家具や調度品のデザインを開始する。家具デザインのスタイルは、1952年発表のアントチェアによって確立され、その後も、スワン、エッグ、セブンチェアなどの、名作椅子となる家具作品を続けて発表した。1956年に竣工したデンマーク国内初の高層ビルであるSASロイヤルホテル(現・ラディソンブルーロイヤルホテル)では、建物の設計からインテリアデザイン、レストラン、照明、ドアハンドル、カトラリー類などを一貫して手がけた。1971年に着工したコペンハーゲンのデンマーク国立銀行はヤコブセンとしては初の国際的で大規模な仕事となり、しかし、その竣工を見ることのない遺作となった。