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デンマークを代表するデザイナー、Finn Juhl/フィン・ユールによるダイニングセット、Bovirke/ボヴィルケ社によって1950年代に製作されたものです。このセットの当時の発注者は、Bovirkeのオーナー、Poul Lund/ポール・ルンド氏の親友だった方で、この度そのファミリーより売り立てられました。テーブルは通常のモデルよりもひと回り大振りなサイズ、その天板は突き板ではなく無垢のチーク材の特別注文として、ルンド氏とフィン・ユールに依頼したものと伝えられており、椅子も揃いで注文されたものです。大振りなサイズ感に加え、オーク材の脚も通常よりやや太めに挽かれています。テーブルにはエクステンションリーフが三枚付属し、これらも同様に無垢材で作られています。椅子は木取りの良いチーク材で、アーム付きのBo72が2脚と、アーム無しのBO63が3脚付属の計6点セットでの販売となります。皮革には傷みが見られたため、新たに張り替えました。テーブルの脚先に呼び継補修があります。無垢材故にエクステンションリーフとの隙間が生じており、若干の反りも生じています。また、椅子のアームに小さな呼び継ぎがあり、アームの付け根に乾燥によるクラックがありますが、緩みはなく大きな心配はなさそうです。全体的なコンディションは良好と言えるでしょう。
Provenance: From a family of friend of Paul Lund (Bovirke's owner).
Their uncle ordered Paul Lund and Finn Juhl a unique larger and updated version of Bovirke dining table.
Bovirke circa 1950's
Dining table with 3x extension leaves
Solid teak top and Oak legs
w-148(187~226~265), d-95, h-72.5cm
3x BO63 Dining chairs
Teak, New leather seat (CAMO leather "VACONA")
w-49, d-53.5, h-82, sh-43.5cm
2x BO72 Arm chairs
Teak, New leather seat (CAMO leather "VACONA")
w-64, d-53.5, h-81, sh-43.5cm
ご売約となりました。ありがとうございました。
Finn Juhl/フィン・ユール 1912-1989
コペンハーゲン生まれ。父親は権威主義的な思想を持つ繊維卸売業。母親はフィン・ユールが生まれて間もなく他界。幼い頃から美術史家を夢見て育ち、十代の頃は各美術館に出向くなど、美術の鑑賞や研究に多くの時間を費やします。しかし父親は、美術の世界では生きられないであろうと考え、若きフィン・ユールに建築を学ぶ事を推します。1930~34年、デンマークの主たる建築家であり著名な講師のカイ・フィスカーに師事、デンマーク王立芸術アカデミーの建築学部で建築を学びます。学生だったフィン・ユールの能力を建築家のヴィルヘルム・ラウリッツェンが見出し、ラウリッツェン建築事務所に招き入れます。その後、10年間に亘り、ラウリッツェンの建築事務所に勤務。デザイナーのヴィゴ・ボイセンと緊密に協力し、デンマークラジオハウスのインテリアデザインの多くを担当します。現在復刻されているラウリッツェンのラジオハウスペンダントは、就労中のフィン・ユールによってデザインされたものであると噂されています。フィン・ユールは、ラウリツェン事務所に所属しながらも、1937年には独自の彫刻技術を持つキャビネットメーカー Niels Vodderとの協働を開始。同年に開催された第11回目のキャビネットメーカーズギルド展へ初出展します。しかし、人間工学を無視した構造と奇抜なデザイン、そして家具作りの教育を受けていない亜流からの流れという背景もあり、世間や業界から酷評を受けます。キャビネットメーカーズギルド展は、それまで続いてきたデンマークの古典的な様式を一新しようとする若きデザイナー達にとって新しいトレンドを発表する重要な展示会でしたが、それまでの重厚で豪華で装飾的な伝統主義に背を向ける姿勢となるプロジェクトは物議を醸し、中でも家具工芸の資格を有さないフィン・ユールの作品は、保守的なデンマーク人たちから多くの批判を受けたと云われています。しかし徐々に海外からの評価と需要が高まり出します。1945年、ラウリッツェン建築事務所を退社したフィン・ユールは、コペンハーゲンのニューハウンにインテリアと家具のデザインを専門とする自身のデザイン事務所を立ち上げます。1950年代に開催されたミラノトリエンナーレに出展した複数のプロダクトが金メダルを受賞すると、国際的な評価は更に高まり、1950年代には、より国外の市場へ向けた多くの製品を生み出すようになります。ノックダウンしたまま出荷できる製品なども開発し、盛んに輸出しました。その頃、ニューヨーク市の国連管理委員会会議室のインテリアデザイナーも務めます。1960年代以降は時代の流れも変わり、フィン・ユールの作品は世の中から一旦忘れ去られますが、1990年代以降は再び関心が高まり、当時作られたヴィンテージ品は各国のオークションで高値を呼び、プロダクトは「House of Finn Juhl」によって現在も復刻生産されています。