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デンマークの女性彫刻家、Gudrun Lauesen/グドラン・ラウエセンによる仔牛の彫刻作品です。金工家のユスト・アナセンによって開発されたアンチモンと鉛の合金”DISKO”メタルを用いて作られています。仔牛の振り向く様に野性味を感じる静的な佇まいの作品です。
Just Andersen 1950~60's
Disko metal
w-23cm
price: ¥183,000- 税込
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Gudrun Lauesen/グドラム・ラウエセン 1917–2002
1917年デンマーク生まれ、コペンハーゲンの王立美術アカデミーにて彫刻家のE. Utzon-Frankから教育を受けます。1965年頃からSAXBO創立者のナタリー・クレブスらとともに、彫刻家として活動します。アルネ・ヤコブセンの設計で知られるRødovre市庁舎の庭園には雄牛のブロンズ彫刻が設置されるなど、その作品群はデンマーク全土にわたり見ることができます。晩年にはRoyal Copenhagenに於いて動物のフィギュアを手がけ、生涯、彫刻家として活動しました。
Just Andersen/ユスト・アナセン 1884-1943
グリーンランド生まれ。自然の猛威が支配する過酷な生活を強いられながらも、雄大な景観からの影響を受け、海洋生物の骨を採取し研究に没頭するなど、自然豊かな環境で育ちます。デンマークへ移転後の1912年、デンマーク美術工芸学校でイェンス・モラー・イェンセンに学び、当時アカデミーの学長を務めていた芸術家のハンス・テグナーから指導と助言、激励の言葉を貰い、貴金属の世界、特に銅素材を扱うことに情熱を注ぐようになり、彫刻家のハンス・クリスチャン・ランバーグ・ピーターセンに師事します。同年、銀細工師のジョージ・ジェンセンのもとで彫金職人として務めていた Alba Mathilde Lykke/アルバ・マルチ・ディッケと出会い、意気投合し、共同でワークショップを開設。折に、アルバより、芸術家として名高く、彼女のかつての師匠でもあった Mogens Ballin/モーエンス・バリンを紹介され、この出来事がきっかけとなり、ユストの人生にひとつの方向性が見出されます。バリンはユストの才能を称賛しつつ、利益を生み出す芸術について議論します。金、銀、ブロンズは美しいがコストが掛かるため、客層は富裕層や生活に余裕のある人々に限られてしまう。生活にそう余裕のない大多数の庶民であっても購入できる芸術をいかにして生み出すことができるか、について話し合います。1915年、ユストはアルバと結婚し、1918年、二人は金属宝飾製品メーカー Just Andersenを設立します。初期の作品では、柄に象牙や鯨の歯を用いた銀製のカトラリーシリーズが人気を博し、特に象牙のナイフハンドルはシルバーカトラリー製造ビジネスを確立、ワンオフの磁器、陶器、銅、青銅、シルバー、そしてゴールドなどの製品を手がけ、その顧客は、主にデンマークの上流社会の著名人や富裕層が中心でした。ユストはかつてバリンと語った「利益を生み出す工芸、庶民にも受け入れられる芸術」を具現化してゆきます。鉛合金のコアに秘密の表面加工を施し、鑑賞にも耐える新素材を開発、故郷グリーンランドのディスコ湾の深緑色を呈した海面に色調が似ていることからDisko Metal/ディスコメタルと命名し、1925年に開催されたパリ万博にて発表します。ブロンズに比べて1/10のコストで作れるディスコメタルは、庶民にも受け入れられるようになり、片手で持てる芸術作品はデンマーク中のリビングルームやオフィスに飾られるようになります。1930年、コペンハーゲンのAmagertorv 4(現在のストロイエのジョージ・ジェンセン)に最初の店舗をオープン。やがて美術商のカール・ダイアによって、ベルリン、バルセロナ、ブリュッセル、ジュネーブ、ロンドン、ニューヨーク、ブエノスアイレスなどにも取扱店が拡大されます。健康とはいえない身体でクリエイターとして一時代を築いたユストは1943年、59歳の若さで死去。その後も、アルバの親友でユストの後継者のEllen Margrethe Schlanbusch/エレン・マルグレーテ・シュランブッシュによって1973年の工場閉鎖までユストの意思は引き継がれました。